継承

親に虐待されて育った子供が
自分が親になった時に虐待を繰り返してしまう、という話は
よく聞くし悲しい話であるから
実体験のある人にはとても言えないけど
個人的にはちょっと美しい話である気がしている。


都会の生活に疲れたリーマンやOL的な主人公が、ふと訪れた地方の
伝統的な何かに惹かれて後継者になる、というような話は
別に誰も損はしてないんだけど
なんかちょっと恥ずかしい気がしてしまう。
多分「自分探し」なんて言葉がまかりとおっているせいだろう。


そういうふうに生きてもいい、という物語より
そういうふうにしか生きられない、という物語の方が
なんかこう、ぴたっとくる。


全然話は変わるけど
先輩が後輩に無茶をさせる類いの伝統は
たいていにおいて悪い意味で語られがちだけども
ましてや大学生なんかが酒の事故で死んだり
はしゃぎすぎたアホが女性に乱暴を働いたりすると
連帯責任みたいに一気に消え去るもんだけど
私が体験したような程度の、可愛げのあるものに関して
個人的にはそういうのも悪くないと思っている。


卒業したあと、随分時間がたってしまったけれど
ふと先輩と話したときなんかに
「あれってまだやってんすかね?」
「ああ、やっとるみたいよ?」
「アホですね」
「アホだて」
なんて話しているのは悪くない。
きっと疎遠になっている人達もそんな話をしているだろう。
それは悪くないことだと思う。